
1951年、島根県生まれ。
広島大学教育学部美術科卒業後、74年、広島の公立校・府中東高校に美術教師として赴任。
野球部監督に就任し、「5年で甲子園に行く」と宣言、6年目の79年春にセンバツ出場へと導く。
松江日大高校監督、1年間の浪人生活を経て、86年に松江第一(現開星)高校に赴任。
88年、硬式野球部創設に伴い監督に就任。
またも「5年で甲子園」を宣言、6年目の93年に初出場。
開星を春2回、夏7回、甲子園へと導いた。
2010年センバツでの「末代までの恥」発言で監督を辞任したが、約8000人の監督復帰嘆願の署名が集まり、翌11年4月から監督に復帰。
同年夏の甲子園では復活勝利を挙げ、優勝した日大三高を最後まで苦しめた。